南イタリア+エオリア諸島7日目⑤(2013.10.7)
プーリア地方の県庁所在地の一つであるターラント
「二つの海の町」という通称で呼ばれるこの街は、イオニア海の海岸線に沿って広がり、
湖のようなひょうたん型の内海があります

ひょうたん型の内海(Mare Piccolo:小さい海)とイオニア海(Mare Grande:大きい海)の
間に橋が掛かっていて、駅のあるエリア、旧市街、新市街を結んでいます
【半径300mの街歩き】
この日は雨が降ったりやんだり、時々大雨になったので、街歩きもままならず。
結果、新市街にあるB&Bの周辺を少しだけ見て回りました。
後で地図で確認したら、半径300m位をグルグルしていただけだった

①1泊したB&B
②昼食を買ったパン屋
③晩御飯を食べたオステリア
④城(現在はイタリア軍施設)
⑤朝ごはんを食べたバール

B&B近くの新市街の街並み。
新市街側は、みごとなまでに碁盤の目状に直線の道が交差しています。

新市街から見た旧市街。ドゥオーモも旧市街にあります。
雨足が強くて、旧市街まで行く元気がありませんでした(´ω`)・・ザンネン…
【ギリシャ時代の神殿跡】
ターラントの歴史は紀元前8世紀まで遡る。
ギリシャ神話の英雄ターレスの名を取ったのがターラントの由来。

紀元前580年ころのギリシャ神殿のなごり、円柱2本。高さは約8.4メートル。
海神ポセイドンに捧げられた神殿だったそう。
【天然の良港】
ターラントの地形は天然の良港。
漁業のみならず、戦略的にもイタリアの重要な軍港とされてきました
紀元前3世紀に、ターラントはローマ帝国の支配下に入る。
ローマ人はアッピア街道をここまで延ばし、さらにアドリア海のブリンディシまで進出。
ターラントは東方への軍港として重要な役割を果たしました。
ローマ帝国と戦ったカルタゴの名将ハンニバル。
37頭の像と4万の軍勢を引きつれアルプス越えをした逸話が有名ですが、
彼もイタリア半島を南下して、ここに拠点を構えました。
さらに第二次世界大戦中の1940年。
この軍港は、イギリス空母の艦載機に攻撃されました。
この奇襲攻撃が大艦巨砲主義から航空主力主義へ、海軍のありようを変化させたそうです

15世紀末にアラゴン家が建造した城。イタリア国旗が翻っています
現在は軍の施設になっています。内部の見学は事前許可が必要。

内海(Mare Piccolo:小さい海)の軍港。
街中でも時々水兵さんを見かけました。

ターラントは南イタリアの主要な工業地でもあります
旧市街の向こうには工業地帯が広がっています
【ジレヴォレ橋】

新市街と旧市街を結ぶジレヴォレ橋(Ponte Girevole)
大型船が通過するときは、橋が中央で分離・旋回する
橋が動く時間を表示する電光掲示板

橋のつなぎ目が動くところを見てみたいもんです

外海のイオニア海(Mare Grande:大きい海)に軍艦が姿を現しました

タグボートが沖に出ていきます
もしや、ジレヴォレ橋が旋回して、この軍艦が通るのでは?とワクワクして
しばらく見ていましたが、残念ながら沖でとどまったままでした…(´・ω・`)
【モチーフは海】
ターラントと言えば海ですから、あちこちに海を感じるモチーフがありました

海のそばの遊歩道に置かれたベンチには、帆立

柵には碇があしらわれています

街灯の台座もクラッシックな船の形
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